ページ

2012年1月9日月曜日

5月17日1号機 地震後の状況

5月17日のニュース

1号機 地震後の状況は(5月17日 19:40更新)

地震のあと、東京電力福島第一原子力発電所の1号機では何が起きていたのか。
16日に東京電力が公開した、原子炉のデータや運転日誌、それに、事故直後の緊迫した様子がうかがえる、中央制御室のホワイトボードに書き込まれた対策などから、状況を再現します。
地震が発生したのは、3月11日午後2時46分。
1号機の運転を行う中央制御室のホワイトボードには、同じ時刻に「自動停止に成功」と記載されています。
同時に、非常用の発電機も自動起動。
そのときの様子が、原子炉内の圧力の変化を記録した紙に残されています。
自動停止によって原子炉の外とつながる配管の弁がすべて閉じられ、圧力が通常の運転中よりも高くなり、地震発生から6分後の午後2時52分、「非常用復水器」と呼ばれる安全装置が自動で動きます。
これは、原子炉の蒸気を抜いて水に戻し、再び原子炉に注水するための装置で、水を流すための弁が自動的に開いたとしています。
ところが、この「非常用復水器」は、僅か8分後の午後3時ごろには停止していました。
東京電力が定めている原子炉が停止した際の運転手順では、原子炉を冷やす水の温度が1時間に55度以上下がる場合には、原子炉の損傷を防ぐため、非常用復水器を止めるとされています。
原子炉の温度のデータでは、午後3時の水温は100度から150度程度と、自動停止から15分程度で100度以上下がっていました。
このため東京電力では、「運転員が手動で停止させた可能性がある」として、さらに調査しています。
その30分後の午後3時37分、異常が起きます。
中央制御室のホワイトボードに「SBO」の文字。
「SBO」は「ステーションブラックアウト」の略で、外部からの電源のほか、非常用の発電機も含めて、原発で使える電源がすべて失われたという意味です。
ちょうどそのころ、福島第一原発が津波に襲われていました。
非常用の発電機の海水ポンプが水につかり、使えなくなったとみられています。
その結果、電源を必要とする非常用の冷却機能はいずれも起動せず、温度や圧力、それに水位のデータもすべて取得できなくなりました。
これに対し、午後3時に止まった非常用復水器は、本来、電源がなくても動きますが、再び弁が開けられたのは午後6時18分。
津波が来てからおよそ3時間にわたって、原子炉に水を入れる機能がすべて失われていたことになります。
しかし、冷却機能の最後のとりでである非常用復水器は、その後も起動と停止を繰り返していました。
再起動から僅か15分後に弁が閉じられています。
東京電力では、誰が弁を閉めたのか、自動で閉まったのか、分からないとしています。
さらに、2度目の再起動は午後9時半でした。
このとき、ホワイトボードには、非常用復水器で水が冷やされているときに出る蒸気を確認したと書かれています。
この非常用復水器が最終的にいつの時点まで機能していたかは分かっていませんが、1号機は、残されていた記録では、翌12日の午前6時以降、水位が下がっており、最終的に燃料が溶融したことで発生した水素によって爆発を起こしています。

【山崎解説・想定外をどう考える?】2011年04月10日 (日)

ニュース画像
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、先月11日の津波は、建物や設備に残された跡から、最大で15メートルの高さに達し、主要な建物があるほぼ全域で高さ4メートルから5メートル程度浸水していたことが分かりました。
「想定外」と関係者が口にする大災害。ではどんな備えが必要だったのか。山崎記者が解説します。


ニュース画像
山崎記者:
東京電力が公開した映像によると、発電所の施設に津波がぶつかり、20mくらいの高さにしぶきがあがっています。津波のパワーを改めて感じさせる映像ですね。この津波によって発電所の設備も非常に広範囲に浸水してしまいました。

ニュース画像
浸水したエリアを青色で示しますが、原子炉建屋やタービン建屋など主要な建物のほとんどが浸水していることが分かります。もう少し詳しい写真を見てみましょうか。

ニュース画像
写真の下が海側で、こちらから津波が襲ったと考えて下さい。
下の方に黄色い線を引いた施設が、ポンプです。

ニュース画像
これは原子炉を冷やすための海水を引き入れるポンプなんですね。
このポンプが完全に破壊されていることが一つ、重要なダメージです。


ニュース画像
もう一つ注目したいのは、このタービンの入っている建屋ですね。この丸をつけたところは、機械を搬入するための大きなシャッターがあるんですが、これが津波の勢いによって完全に壊されているのが分かります。
こういった重要な設備が壊れるとどうなるか。次の図で見てみましょう。


ニュース画像
この図で右側にあるのがポンプ。写真では一番海側にあったポンプです。ポンプで冷たい海水を引き込みますが、このポンプが壊れてしまいました。

ニュース画像
そのため、原子炉の核燃料を冷やす冷却装置が使えなくなって、原子炉の中の熱を冷ますことができなくなった。これが事態をここまで悪化させた要因の一つです。

ニュース画像
もう一つ、先ほどの写真で、シャッターが壊れていました。
シャッターが壊れて海水が建屋の中に入り込み、この地下1階に非常用の発電機があったんですね、発電所内の電力を維持する重要な役割を持っているんですが、これが海水で使えなくなってしまいました。
こういう緊急時にバックアップする設備がことごとく津波によって使えなくなってしまったわけです。
こうしたバックアップの設備の配置について、津波に対して十分な準備できていたのかという疑問が残ります。


ニュース画像
山崎記者:
今回の事故では「想定外」とか「想定を超えた」ということばが何度も聞かれます。これをどう考えたらいいのでしょうか。
ここまで大きい原子力災害を起こしてしまった今となって、国や電力会社はもう住民に対して、「想定外」という説明はできないと私は思います。
例えば1999年茨城県東海村でおきた臨界事故。日本では臨界のような大きな事故は起こらないと言っていながら燃料工場で起こった。取材に対して盲点だったと関係者は説明しました。
そして2005年の宮城県沖地震による女川原発で観測された揺れ。続いて2007年の中越沖地震による柏崎刈羽原発の被害。これらの地震の揺れも国の指針による設計の想定を超えていたんですね。何度も「想定外」ということが起きている。
こうしたことを考えると、国や電力業界は「起きないかもしれない」ではなく「起きるかもしれない」という姿勢を持つべきだったということが一つ。

もう一つは国や電力業界は、新しい発見、例えば「もっと大きな津波が来るかも知れない」、「大きな揺れが来るかも知れない」、そういった研究や発見に対して、すぐに得られた知見や成果を取り入れて、先手先手を打って施設を補強する、新しい安全管理のルールをつくる、こうしたことをしてきませんでした。
今回も「大津波については研究をしていた途中でした」との説明が業界からあります。
中越沖地震の際も、「大きな揺れについて研究していましたし、取り入れようとしていた」との説明がありました。それなのに全部、後手後手。
国と電力会社は、上記のような硬直化した体制や組織文化では、もはや原発利用に対して国民の理解を得ることはできないと思います。